| 2006年1月号 | ||
| 新年明けましておめでとうございます | ||
| 新年おめでとうございます。 皆様、お正月はいかがお過ごしになられたでしょうか。私は例年通り、おおみそかには除夜の鐘をついて、その後新年のご祈祷をしていただき、1月1日は自宅でお屠蘇をいただき、1月2日は初詣に行くというコ−スでした。 今月のコラムは私事になってしまい大変申し訳ないのですが、私が今行っている美容外科医療に合い通じる物を汲み取っていただければ幸いと思います。除夜の鐘は上野のアメ横にある摩利支天徳大寺というお寺に行きます。このお寺は私が今から50数年前、小学校受験の前にお参りした私にとって大変ありがたいお寺で、それ以来事有るごとにお参りをしているのです。今年は特にル−マニアから日本に留学している女医さんを同伴し、一緒に除夜の鐘を突き、祈祷をしていただき、年越しそばを食べ、日本のしきたりを見たり、体験したりしてもらいました。私は祈祷をしていただくと身も心も洗われ、やるぞという気分になるのですが、はたして彼女はどのように感じたのでしょうか。キリスト教文化と仏教文化の違いに驚いたのではないかと思いました。 さて、1月2日は江ノ島の児玉神社に行きました。この神社は混み合う江ノ島神社への参道の途中から横道にそれ、静かな山道を登って行くと江ノ島神社とは別世界の静かな境内が広がり、その奥に児玉源太郎大将が奉られています。皆様は児玉源太郎大将という軍人をご存じでしょうか。日露戦争の乃木希典大将、東郷平八朗元帥をご存じの方でも児玉源太郎大将は知らない方が多いと思います。何を隠そう、この児玉源太郎大将こそ日露戦争勝利の立役者なのです。もし児玉源太郎大将がいなかったら日本はロシアに負けていたかも知れないのです。児玉源太郎大将は残念ながら57歳という若さで早逝されましたが、もし生きていたら首相になっただろうし、広い視野を持った若い軍人を育て、その結果日本が太平洋戦争という無謀な戦に突入することを避けられたのではないかと思える程偉大な軍人だったのです。 人でごったがえす乃木神社、東郷神社に比べ、児玉神社の静かでおごそかなこと、私は児玉源太郎大将も地味で、かざりけが無く、自分の手柄を他人にゆずって自分は奥に引っ込むというような人柄だったのではないかと思います。 私の初詣は、人が沢山行く場所だからら自分も行くというのではなく、町の片隅にひっそりとある小さなお寺、あまり人が行かない小さな神社、そんなところで静かにお参りをして、今年も自分が納得できる医療を、私の所に来てくださった患者さんに行っていけるようお願いして来ました。 | ||
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